ポニョ
宮崎駿の新作、「崖の上のポニョ」を観た。
嵐のシーンの手描きの流体表現の凄まじさに、涙が出そうになった。
今回はCGを一切使わなかったという。
手描きでここまでできるのであれば、CGで使われるシミュレーション技術の価値などいかほどだろう。
今作っているSJQの新譜も、音色は様々な音響処理を使ってはいるものの、その配置自体はクレイアニメのようにコンマ秒ごとに手作業でやっている。
音色とリズムの中間点を行き来する、マイクロストラクチャーと呼ばれる手法だが、おそろしく時間がかかる。
いつのころからか、知人に会う度に「まだ作ってるの?」「時間かかりすぎだよ」と挨拶がわりに言われるようになってしまっている。
これだけ音楽が量産され、安価でオンラインで入手できるようになった現在、
僕自身、時代の感覚に親和しない手法なのかな、と思ったりもしていた。
しかし、こうやってベストプラクティスを見せつけられると、とても元気づけられる。
彼のアニメーションを見るといつも思うのは、その動きのエンベロープ(ADSR)が非常に生命的だということ。
僕は音楽をはじめ、様々な表現の本質はエンベロープ=遷移に還元される部分が大きいと思っている(音量、音程、動き、色、etc..)
作品の引き起こす情動的な質は、用いられているこのエンベローブの傾向である程度決定される。
今回のポニョだと、流体のエンベロープ、つまり水そのものや水中のエンベロープが、
作品全体に使われていて、それが通しての「優しい」情感につながっている。
「母なるは海」といったところだろうか。ところがその速度の領域を上げてやるだけで、嵐にあるような、ああも荒々しく生々しい感覚に繋がる訳で、奥が深い。
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