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干渉力というコンセプト
+Experience music, 干渉力というコンセプト
SJの最も基本的なコンセプトが "Experience Music"(体験音楽)というものだ。
Experiment Music(実験音楽)ではないので、ご注意。
これが、SJというシステムのすべての土台骨を支えているといってもいい。
音楽は、一般的によく「表現」という言葉と供に用いられる。
この背後には、創作者の内部に表現したい対象があって、それを音符や演奏として出力する、という発想が存在する。
これはこれで、否定はしないし、確かに事実の一面を捉えている。ところが反面、内部の感情とその出力を想定している以上、プロセスに政治性や社会性、個人的な感情といったものが混入してしやすい性質が存在する。
ここでの問題は、例えば個人の感情をそのまま素直に表現することが、相手にその感情を伝える最適な方法であるとは限らない、ということだ。
SJではあえて「体験(Experience)」を基幹コンセプトとして設定し、より直接的に演奏の内容や結果を扱おうとしている。
体験とは、脳が五感などのセンシングデバイスからの情報と記憶を基に生成する一種の幻影のようなものだ。音楽、絵画、映画、日常、恋愛、性などなどほとんどのものを「体験」として還元することができる。
そういった体験は、被験者の情動を呼び起こし、様々な感情やリアクションを生み出す。
つまり、音楽は「体験を生成するために音を用いたソフトウェアである」と考えることができる。そうすることで、いくつかの制作プロセスに関する、方向づけを行うことができるようになる。
それによる最も重要な変化が、視点が表現者から、被験者に移動することだ。
視点を表現者側に置いた場合、創作者は、自分の感情を正確に表現すれば、それが相手に正確に伝わると思いがちだが、現実にはそうとは限らない。
まず、選んだ表現方法で表現したいコトを正確に出力できているかの評価が見落とされがちだし、もし仮に正確に表現できたとしても、それを受けた相手が同じ対象を内部に形成するか(同じ印象を抱くか)どうかはまた別問題である。
つまり、視点を表現者に置く場合、無意識に表現者の前提を"受け手側"にも置いてしまいやすい、というリスクが存在するのだ。
しかし、視点を被験者にもってくることで、根本的な発想が変わってくる。
これは、何の予備知識や前提のない被験者の脳内に、どういったものを生成するかといった、いわば体験の「合成」ついて思考することになるためである。
この場合、具体的にどういった体験を生成するか、それをどう効率的に現実化するかという、デザイン的な思考を用いることになる。
また、正確に相手の中に体験を合成するために、認知科学や音響心理学といった分野の研究成果を具体的にフィードバック可能となる。
こうすることで文脈や社会性といった意味的な要素の混入を避けて、音自体を扱うためのベクトル付けを行っているのである。(完全に払拭することは脳の構造上不可能だけども)
また、「体験」という共通言語にフォーカシングすることで、日常や他のメディアの様々な要素を非常に援用しやすくなるというメリットも存在する。
例えば、日常生活で感じた恐怖であるとか、快楽といった体験、また絵や映画といった音楽以外のメディアで発見した要素を、「体験」という同じ土俵で考えることで、何故そういう効果が生み出されたのか、それをライブ上でシミュレートするにはどうすればいいのか、といった思考の流れを自然に生み出すことができる。
体験に焦点を置くことで、普段は通り過ぎていた様々なことに気づき、援用が可能になる。
こういったようなことを書くと、SJが科学的な志向を持ち、詩的なもののような情緒性を完全に排除しようとしているかのような印象を持つ方が少なくない。
しかし、 これは大きな誤解である。
ここで重要視しているのはあくまでも相手に目標の体験をどうやって合成するか、といった部分であり、例えばその内容が詩的なセンチメンタリズムでも、熱い情熱でも構わない。ドライな立場をとっているのは、それを確実に相手に体験として提供するためにどうするか、といった実装部分についてである。
+干渉力(affect)
体験生成というコンセプトの導入によって、副次的に生まれるのが干渉力という視点だ。
Experience Musicは簡単にいってしまうと、A[どのような体験を生成するか]といった目標と、それをB[どうやって確実に相手の中に合成するか]という具現化手法の2つのプロセスから成っている。
仮に音楽以外で例えると、A目的「スピードの快楽」=B方法「早く移動する乗り物」となる。
A「スピードの快楽」が生成したい体験であり、B「速く移動する乗り物」がそのための具現化手法である。
この目標とその具現化という構造において重要になるのが、達成効率である。
当然、簡単で確実な方法ほど達成効率が高いことになる。
体験生成というテーマにおいては、達成効率とはいかに用意した手法で相手に干渉するかということになるから、これを特別に干渉力と呼ぶことにしている。
先ほどの例でいえば、「スピードの快楽」という目標の具現化手法として「速く移動する乗り物」を選択した場合、それが「自転車」なのか、「バイク」なのか「飛行機」なのかという問題に行き当たる。
この時、シンプルに考えれば「自転車」より「バイク」の方がスピードの快楽として、より被験者への干渉力が高い事になる。
また、同じバイクでも原付スクーターよりもレーシングマシンの方が、乗るものにより強く干渉すること(スピードを感じさせる)ことができる。
さらにもっと突っ込んで考えてみたい。
ここで陥りやすいのが、「より速度が速い乗り物であれば高い干渉力を得ることができる」といった誤解である。
例えば、バイクよりも飛行機、飛行機よりも宇宙船の方がスピードの干渉力は増大されると考えてしまうことだ。
これは、表現者側の視点で陥りやすい判断ミスである。
飛行機に乗ったことがある人は誰もが知っているように、たとえジャンボジェットが時速500kmを超える速度で移動していたとしても、時速50kmで移動する原付ほどのスピード感は得られない。
宇宙船で地球を周回する時の速度は、音速の何倍ものものだが、眼下に広がる青い地球を見てもスピード感は皆無だ。
このように、干渉力とは目標となる体験を生成するために、用いた設計がどれほどの劣化なしに実効しているか、という視点である。
Experience Musicというコンセプトを用いることで、即興時も常にこの干渉力という尺度で、自分の内容や次の行動の評価をすることが可能になる。
もちろん、高度な即興演奏者は改めてこのような概念を持ち出すまでもなく、無意識的または意識的にこういった検証を行なっていると考えることができる。
しかし、こうやって概念化することで問題を共有し、そのための具体的な方法を開発していくことが可能になる。
達人がやっていることを、概念化することでシステマティックに、我々でも扱えるモノにしよう、といういうことである。
特に、即興というものは瞬間瞬間の「ひらめき」、演奏者間の「インタープレイ」といった部分がフォーカスされるためか、半ば神聖化すらされているように思える。
特に、インタープレイといった部分に関しては、最近の社会科学や生命科学、人工知能といった研究がそれを大幅に概念的に扱いやすいものにしてくれている。
これを利用しない手はない。
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